ジャーナリング・オブ・ザ・デッド
エモーション・ストーリーメイク・ゲーム『ジャーナリング・オブ・ザ・デッド』は、ゾンビがはびこる世界で日記を書くゲーム。
引いたカードに従って、ふたりの関係性、逃げ込んだ場所、特殊な状況などを設定。たとえば、恋人の2人が、ショッピングモールで、サンタのかっこうをして、逃げ込んでいるとか。
そして序章へ。またカードを引いて、最初の状況が決まり、その状況に応じて架空の日記を書いていく。何がどう展開するかは、カードの引きと、あなたの想像力によって決まっていく。
ハリウッド式の脚本メソッド「三幕構成」理論を実践的に学べるので、脚本スクールの先生も注目している新しいスタイルのゲーム『ジャーナリング・オブ・ザ・デッド』。ぜひ、あなただけの物語を創って楽しんでください。
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ゾンビ日記公開!
実際に遊んでもらった日記シートを公開!
【米光 一成さんの日記】
【ゆいかさんの日記】
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【かなっぺさんの日記】
今までのというか、私の知識の中のゾンビとは違ったゾンビだった。ゾンビは「萌え萌えキュン♡」と言いながら徘徊している。ゾンビは自身の血でハートマークを書かれたら、ゾンビになる。つまり、全国秋葉原化だ。メイドになりたくない。秋葉は好きだけど…。サンタの服はスタッフとして見てくれるのか?スルーしてくれる。
DAY2 絶望
世界秋葉化計画に周りはメイドばかり。気が狂いそうだ…。いつの間にか、ゆうが「萌え萌えキュン♡」と口ずさみ始めた。私はゆうがおかしくなって泣き始めた。私が泣き始めたら、ゆうが我に返って私に謝った。何も解決はしていないが、なんだか落ち着いた。
DAY3 宿命
何かこの状況を変えられないか?と武器を探したら、カメラを見つけた。それしかなかった…。とりあえず持っておこう…。何に役立つのかわからないかったから、「よけいなものをもっていくな!!」と怒られるし、隠しておこう。
DAY4 異変
隠していたカメラをゾンビに使う(撮って)見た。ゾンビはチェキ代を要求してきた。逃げ回っていたら、ゆうに見つかり、「よけいな事しやがって!!」と怒られた。カメラの事も隠していたから不信感を持たせてしまって、無視されるようになった。
DAY5
起きると手紙があった。私のことが信じられないし、一人行動の方が、良いって事が書かれていた。一人になった
DAY6 孤独
カメラを撮るとしょうきになる時間が増える事がわかってカメ子になった。カメ子をしている時、ゆうに出会った。ゆうはあきれた顔でこちらを見た。サンタの服はボロボロになり、初めの効果、スルーしてくれる効果がなくなってきた。
DAY7 最終日
やはり秋葉化計画は止める事ができないらしい。私たちもメイドになる事しか いないのだろうか?諦めたくない。そう思っている時、ゆうが仲間を集めてきた。皆でオタ芸でゾンビが倒せるらしい。明日決行だ。ガンバロー
せとさんに紹介していただきました
簡単ゲーム紹介
— せとのボードゲーム紹介 (@pnoto_) December 24, 2024
ジャーナリング・オブ・ザ・デッド🧟
ゾンビが蔓延る世界で日記を書くストーリーメイクゲーム📝
ランダムに引いたカードによってどんどん状況設定が決まっていくのでその設定を元に7日分の日記を書き上げよう!
自然と物語ができるようになっているのがすごい。#pr pic.twitter.com/2PyVwSPFx5
米光一成の解説!
動画で解説
ジャーナリング・オブ・ザ・デッド』は、カードを引きながら、あなた自身が物語を生み出していくエモーション・ストーリーメイク・ゲームだ。
プレイヤーは、ゾンビ世界でサバイブしながら日記を書くことになる。
プレイした人の感想を紹介する。
「新しい才能が覚醒しました。すぐにもう一回やりたい」
「物語を生み出す才能が自分にあることがわかりました!」
「こんな残酷なエンディングになるとは思いもよらず、今夜、自分を見つめなおします」
「こんなゲーム、初めて! めちゃのめり込んだ」
「どんどん入り込んでいくので最後の決断で、もー、自分が出ちゃって困る」
「ひさしぶりにペンで紙にたくさん書いたなー」
などなど。
物語を創り出すゲームだけど、いままで物語なんて創ったことないって人も大丈夫。遊んでるうちに自然に物語ができてしまう。
ゲーム概要
ジャーナリングを楽しむゲームです。
ジャーナリングは「書く瞑想」とも呼ばれ、思い浮かぶことを書き記すアクションです。ここでは、ルールにそって浮かんでくる物語を書き記していきます。
筆記用具で紙に記入していくことを前提に説明していますが、SNSやブログ、音声、おしゃべり、写真など、方法は自由に選んでください。
このゲームで生み出された物語は、自由に使ってOKです。書いた日記を公開するのも楽しいでしょう(もちろん誰にも見せずに秘密にする楽しさもあります)。ハッシュタグ「#ジャーナリングオブザデッド」をつけてSNS等で公開してもらえると嬉しいです。
また、他の人が公開している記録もぜひ楽しんでください。多人数で遊ぶ場合は、相談して日記の内容を決める、もしくは、それぞれの日記をそれぞれが書いてください(最後に物語をシェアすると楽しい)。
遊び方
記録していくテキストは、プレイヤーが自由にイマジネーションをふくらませて記してください。
「こんなことしていいんだろうか」と思おうようなことにチャレンジするのが、このゲームの楽しさです。勝ち負けのないゲームなので、思い切り好き勝手に楽しんでください。物語が、あなたを思いがけない所に連れて行ってくれることがあります。
すべてが完璧に矛盾なく展開していなくてもだいじょうぶです。矛盾することもあるかもしれませんが、創造の楽しさや人生はそういったものです。あなたの想像力・構想力を信頼して、大胆に書いていきましょう。
オープンドアポリシー
これは自分自身で物語を創造し語るゲームです。あなた自身によい影響を与えることを想定しています。もし、ゲームが自分自身に影響を与えて辛くなってきたときは、ゲーム世界から自由に離脱してください。無理をしないでください。
設定は、凝ったものにせずイメージしやすい「ゾンビ」にした。
ゾンビの徘徊する世界で、日記を書くゲームだ。プレイ時間も、初プレイでじっくりと取り組んでもらうと1時間ぐらい。慣れてくると30分ぐらい。あまり長くならないようにした。5~8日間の出来事を記す日記になり、明確に終わりを迎える。
もちろん、虚構世界とあわせて数日かけて遊んでもらうのもよし。
筆記具以外のものは、パッケージにすべて封入した。コストをさげるためにカードを使わずにトランプで代用してもらうことを考えたが、いろいろ聞いてみると家にトランプがないという人も多い。やはり、手に入れたら、もう何も気にせずすべてが封入している状態にすることが、遊びやすさのためには必要だと判断した。
あと、気分を高めて書いてもらうためにも、オリジナルのカードがあったほうがいい。愛、眼、傷、銃の4つのマークの1から4のカード、16枚だ。
冊子も、パッケージも、信頼しているデザイナーのクボナオさんにお願いした。めちゃかっこよくなった。
ファイルバッグに入っている冊子と日記シートを取り出す。
「準備」では、まず二人の関係性が決定される。恋人、友達、パートナー、兄弟姉妹。
ついで、場所。ショッピングモールだったり、軍事基地だったり、地下鉄の止まった列車だったり、研究所だったり。
そして特殊な状況が設定される。声が出ない、秘密がある、写真を持っている、サンタクロースのかっこうをしている、高枝切ばさみを持っている、などなど。
こういった状況設定を準備して、ふたりの名前を決める。
そして序章へ進む。
カードを引いて状況設定が決まり、そこからイマジネーションをふくらませて「DAY1」の日記を書く。引いたカードによって次はどの章に進むかが決まる。
次の章に進み、またカードを引く。事態はまたもや大変なことになっているので、またもやイマジネーションをふくらませて「DAY2」の日記を書く。
この繰り返しで、だいたい「DAY6」前後で「最終日」に辿り着いたときには、物語が完成する。
物語の展開は、シンプルなゲームブック的な構造にした。カードを引いて、状況設定が示され、日記を書いて、展開に対応した(分岐だ)章へ進む。
カードを引くたびに次々と起こる事態に翻弄されるようにして日記を書いていく楽しさを存分に味わってもらいたいからだ。
途中で手に入るアイテムや、特殊な状況なども、自分で決めてもいいし、表から最適なものを選んでもよいようにした。ここでも、遊びやすさを向上するための工夫を凝らした。
作った後に気づいたのだが、『ジャーナリング・オブ・ザ・デッド』は、シド・フィールドの三幕構造にぴったり一致した物語づくりができるジャーナリングになっているのだ。
物語が生み出しやすいように試行錯誤した結果、映画脚本術の基本構造とぴったり一致したのは、なかなか興味深い。
シド・フィールドは、ハリウッド式の脚本メソッド「三幕構成」理論を体系化した人物だ。
脚本術の書「SCREENPLAY」は、脚本術のバイブルと呼ばれており、22ヵ国語に翻訳され、全米400以上の学校でテキストとして使用されている。
映画の脚本術だが、あらゆる物語に応用可能な理論体系だ。作家の乙一もシド・フィールドの構成技法を取り入れて「書き上げられない」という状態から脱したと語っている(『暗いところで待ち合わせ』など、見事にこの構成になっている!)。
日本語版『映画を書くためにあなたがしなくてはならないこと シド・フィールドの脚本術』は全3巻、トータルで990ページ超えの大ボリュームを使って、脚本構成の神髄をていねいに解説している。
2010年ごろから10年ぐらい、ぼくはゲーム会社や、専門学校で、脚本の書き方の講義をしていた。
このときに最初の導入として使っていたのがシド・フィールドの「三幕構成」理論だ。
なにしろ明快で、王道で、理論的。これだけで、つまづいていた人が急に書けるようになったりするからすごい。
『ジャーナリング・オブ・ザ・デッド』は、カードと冊子で手渡される状況設定に振り回されながらイマジネーションをふくらませていく物語づくりのゲームだ。
どのように進めようとも、どんなカードを引こうとも、脚本の基本であり王道である「三幕構成」の通りに進んでいくようにできている。
設定やガイドがあるので、物語を創ったことがない人でも、物語が創れてしまう。
同時に、そのガイドがときどき無茶を言ってくる。だから、自分がこうしようと予定していた物語通りには作れない。そこが「物語を創る」醍醐味となる。
物語を創るのが難しい理由は、「どうしていいか思いつかない」からであると同時に、「どうしていいか思いつくが、それが面白いとは思えない」という点がある。
冊子とカードによって「ガイド」されるので、「どうしていいか思いつかない」ことはない。ガイドに従うことで「思いつく」ようにできている。
と、同時に、無茶ぶりでもあるので「どうすりゃいいのよ!」という驚きもある。自分が予定した通りには物語は進められない。
だからこそ「どうしていいか思いつくが、それが面白いとは思えない」という気持ちも生じないのだ。面白くなくても、ガイドが無茶ぶりしたからだ、と言い訳できる。
だけど、その無茶ぶりをどうにか乗りこなすことで、波乱万丈な物語ができる。予定調和の内側でこちゃこちゃ悩むのではなく、無茶ぶりの果てに物語を運んでいく愉悦を楽しむことができる。
この「ガイドによって進行がスムーズになる」と「ガイドによって進行が波乱万丈になる」という相互に衝突しあうような状況が、『ジャーナリング・オブ・ザ・デッド』の肝だ。
人類学者グレゴリー・ベイトソンの学習分類に話は飛ぶ。(『イルカと否定神学』(斉藤環)を参照にして、自分なりにまとめた)
ゼロ学習 刺激ー反応が単純な一対一対応のまま変化が起こらない状態。肉あったら食う、みたいなやつかな。
学習I 古典的パブロフ条件付けに代表されるやつ。ベルならして肉を出していると、ベルならしただけでよだれがでる。
学習II 「学習Iの進行プロセス上の変化」。学習Iが繰り返されると学習効率があがる。たとえば英単語の学習を続けると、未知の単語も覚えやすくなる、など。
学習III 「学習IIの起こり方を自在に調整できる状態」。
つまり学習IIは、再帰的に強化される傾向にあるので、それがまずい状態になろうともなかなか修正しにくい。
陰謀論などその最たるもので、学習IIのループにはいると、自分の都合のよい情報は学習しやすいので取り入れ、そうでないものはしにくいので排除してしまう。だからどんどん学習内容を強化していき、とんでもない内容を信じ込んでしまう。
その「学習II」の前提を揺さぶり、ずらし、入れ替える力が「学習III」だ。
創作は、「学習II」と「学習III」のせめぎ合いから生まれる。
『ジャーナリング・オブ・ザ・デッド』の「ガイドによって進行がスムーズになる(学習II)」と「ガイドによって進行が波乱万丈になる(学習III)」という相互に矛盾する衝突が、創作をドライブさせるのだ。
ゲームなので、みんなで集まって楽しみ、全員の物語をシェアしあうのもめちゃくちゃ楽しい。ぜひ、遊んでほしい。